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1万2千年前の証拠を探せ
「巨石遺跡に天の川を見た」
で金山巨石群の一つの巨石が、1万2千年前の天の川を示唆していることを述べた。
その巨石は調査委員会によって「J石」と名付けられた。
(J石:
南面、
北西面、
東面)
仮に1万2千年前を示しているのがJ石ただ一つだけであれば、それは年代を示す証拠としては弱い。
古代の天の川の方向と偶然の一致である、といわれてもやむを得ない。
願わくは あと1つの証拠が欲しい。
もし、2つの偶然が重なると、もはや偶然とは言えない。必然である。
年代を特定する証拠は必ず有ると考えた。
現場に何度も足を運べば、証拠を見つけることができる。
「現場百回」という現場第一主義のことばは、かつて何度も聞いてきた。
飛騨金山へは何度も行けないが、ドライブには適当な距離だ。
そして、証拠を見つけた。岩屋岩陰遺跡巨石群にあった。
金山巨石群を構築した古代人は、もうひとつ年代の証拠を用意していた。
さすがご先祖さまである。
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岩屋岩陰遺跡巨石群に射し込む太陽光
岩屋岩陰遺跡巨石群は、J石から北へ50mに位置する。
3つの巨岩が組み合わさって、南向きの洞内空間を形成する。
西壁のG石と南東壁E石の巨石に北側から上屋F石が覆うように被る。
南東壁E石と上屋F石の組み合わせに隙間があり、そこから太陽のスポット光が洞内に差し込む。
スポット光が測定石に当たるのは、春(2/28〜5/15頃)と秋(7/29頃〜10/14頃)で、
またスポット光がF石の突出部に重なるのは、2/20頃と10/23頃にみられる。
岩屋岩陰遺跡巨石群の奥、F石の突出部に太陽スポット光が当たるとき、
太陽の地上高度は40度、方位は南南西のS24度33分Wである。
太陽の方向とスポット光の角度が一致するのは、年に2回。2/20頃の13時21分と、10/23頃の12時52分である。(調査委員会のデータ)
その日、2/20頃は、二十四節気の「雨水」の日に相当する。10/23頃とは、二十四節気の「霜降」に相当する。
現在(AD2005)霜降は冬至の60日前で、雨水は冬至の59日後だ。
これは、黄道経度で冬至の60度前と冬至の60度後のことである。
このことは、古代においても、黄道経度が分かれば霜降の日と雨水の日に、太陽スポット光はF石の突出部に当たっていたはずだ。
古代のアナレンマを調べてみれば何かがわかる。
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太陽の首飾り
アナレンマとは、同じ場所同じ時刻の太陽を、1年間重ね撮りをしたもので、8の字の形を描く。
8の字の、冬至から夏至に向かうラインと、夏至から冬至に向かうラインは、どこかで交差する。
その点をクロッシングポイント(Crossing point of Analemma=CPA)という。
現在(AD2005)CPAは、秋分・秋分より夏至寄りの4/12頃と8/31頃である。
CPAは、歳差のため移り変わる。
古代において、CPAに太陽があるとき、岩屋岩陰遺跡巨石群のF石の突出部に当たるときがあったはずだ。
そのときを探せば、巨石群が示す年代が分かるはずだ。
それは、スポット光が射し込むの角度と方向に太陽が来るとき。
すなわち、高度40度になる霜降の日と雨水の日で、太陽の方位がS24度33分Wになるという、その時刻が一致するときだ。
それは、いつのことか。
天文ソフトでシミュレーションをすると、結果は、まさに1万2千年前(BC9800年前後)だ。
そのとき、アナレンマの
CPAに一致していたのである。
すなわち、BC9800年12月26日(霜降)13時25分と、BC9800年5月4日(雨水)13時25分に、太陽は方位S24度33分W高度40度に輝いている。
スポット光がF石の突出部に当たるとき、年2回が全く同じ時刻になることは、1万2千年前のしばらくの間に限るのだ。
巨石E石の先端が示す方向を見ていただきたい。
天空に1万2千年前の太陽のアナレンマが描かれている。
太陽の首飾りのようです。
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岩陰のアナレンマ
もう一度、J石に戻ろう。1万2千年前の天の川方向を示す巨石だ。
南から北に35度の傾斜がついて、延長線に天の北極がある。
その直下に岩屋岩陰遺跡巨石群E石の先端が見えるのだ。
メンヒル(立石)も同一ラインにあり、確実に子午線を捉えている。
J石は、基準となる重要な石と考えるべきだ。しるしはJ石の西面にある。
薄くではあるが、横向きのアナレンマが浮き彫りになっているのがおわかりだろうか。
∞(無限大)の形は、東から昇る太陽とするなら夜明けのアナレンマと思う。
42度方向の天の川。アナレンマのクロッシングポイントが高度40度。いずれも1万2千年前の証拠としたい。
それにしても、時刻をどのようにして観測したのだろうか。驚きである。
さておき、1万2千年前という年代には、何があったのか。
それが解れば、金山巨石群が構築された理由が推察できるかもしれない。
ひとつヒントがある。「ヤンガードライアス事件」だ。
まさに1万2000年前に地球レベルで変化のあった事件である。
約1万3000年前に氷河期の戻りのような急激な寒冷化が約1000年、続いて氷河の退氷などで、大規模で急激な気候の温暖化があった。
日本では、このあと遺跡が急激に増加して縄文時代に入っていく。
金山巨石群はまさに「縄文維新」というような時代の遺跡であろう。
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■本稿は42度の天の川に続く証拠発見の速報です。現場でもしやと思って、自宅に帰ってシミュレーションで確認したところ予想ぴたりで、びっくりでした。
■中学生,高校生の読者がいることを知りました。ありがとうございます。メールを頂ければ必ず返事をします。
金山巨石群が造られた年代はまだ分かっていません。若い方々の今後の研究を期待しています。
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金山巨石群
- 日本の考古天文学と巨石群 『金山巨石群と太陽暦』
- 主要観測ポイント(案内図/印刷用)pdf:403KB
- 金山巨石群の公式サイト(C)金山巨石群調査資料室
天文ソフト
- ステラナビゲータVer.7
- 暦法は、ステラナビゲータの仕様に従い、1582/10/15以前はユリウス暦、以後はグレゴリオ暦を使用しています。
二十四節気
- こよみのページ>二十四節気とは
- 二十四節気の名前、読み、その名の由来などをまとめてあります。
- 気象談話室 今日は暦の上では立秋です」とは? 二十四節気と日本の季節pdf
- 二十四節気と季節の関係を詳しくまとめています。
アナレンマ
- 大阪市立科学館>アナレンマ
- 暦「太陽は正午に必ず真南にくる」YESかNOか?
- 今日のNASA宇宙画像 惑星テラ見聞録 太陽・地球のアナレンマ 2004/06/21
- ヘラクレス上空のアナレンマ模様 ほか
1万2千年前
- 大気海洋変動観測研究センター 物質循環学分野 : 北極の氷床コア-1
- グリーンランドの氷床コアの研究:下から11行目,7行目に1万2千年前の前と後が書かれています。
- 日本スペースガード協会>あすてろいどスペシャル衝突と気候変動、及び、絶滅と文明盛衰
- 地質調査所の古宇田亮一氏がゴルボフスキーの説(最終氷期前後の紀元前1万年に小惑星衝突?)を紹介。
ヤンガードライアス
- 海洋水の大循環(熱塩循環)と気候変動
- 熱塩循環が停止し、寒冷なヤンガードライアス期が始まったのではないか。
- ブループラネット賞講演録:ウォーレス・S・ブロッカー博士pdf
- ヤンガー・ドリュアス・イベントの原因は海洋大循環流が弱まったため。
9〜10頁の図3を見ると1万1700年前から200年の間にメタンの増加と気温上昇が図示されている。
縄文時代
- 日本人はるかな旅展>第4章 成熟する縄文文化
- 国立科学博物館がまとめた縄文時代。アフリカ,シベリア,東南アジアからの民が日本に渡ってきた。というところも見ておこう。
- 縄文時代 - Wikipedia
- 検索に「縄文時代」を入力して表示してください。約1万2千年前から日本列島には縄文文化が広がった。・・・と概要でも大変詳しい。
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