太陽。この巨大な球体の、そのまた真ん中にあたる 、わずか地球の十数倍ほどの領域、太陽核に、 物質という物質が、その原形を留めることを許されず、原子核と 電子がバラバラに引き裂かれた、 いわばプラズマという混沌とした状態に押し込められている。 この想像を絶する超高温高圧の、1600万度、2400億気圧という極限状態の圧力と温度のもと、 水素という、宇宙に最もありふれた素朴な存在が、 あろうことか、より重いヘリウムへと姿を変えるという、大いなる変身劇を演じていたのだ。
水素原子核同士が、途方もない衝突を繰り返すうち、ついに一つに融合し、その過程で、わずかながら質量がエネルギーへと転化する。 アインシュタインという 稀代の物理学者が喝破した、あの E=mc2 という 方程式が、ここでは文字通り、日夜繰り返される大事業となっていた。 その主役こそが「水素の 核融合反応」である。
この中心核で生み出されるエネルギーは、途方もない。一秒間に失われる質量は、およそ400万トン。 ここで、太陽は自らの身を削るようにして、途方もないエネルギーを生み出し続けている。 莫大な物質が、光と熱へと姿を変えていたのである。
その光の粒、すなわち光子は、この高密度の牢獄の中を、 何十万年もかけて、やっとのことで外へと滲み出ていく。さながら、 幾重にも張り巡らされた関所を、気の遠くなるような時間をかけて突破していく旅人のようであったろう。 この中心核という、太陽の心臓部で起きる静かなる革命こそが、 太陽系に光をもたらし、地球上のあらゆる生命を育む、まさに「太陽の力」の源泉であった。
太陽核での主役は、 「水素原子が ヘリウム原子へと姿を変える 核融合反応」である。 太陽のエネルギーは、水素原子がヘリウム原子へと姿を変える過程で生み出される。 このとき、4つの陽子が最終的に 1つのヘリウム原子核となるのだが、 その道筋はいくつかの段階に分けられる。
この一連の反応は「陽子-陽子連鎖反応」と呼ばれ、太陽の中心部で絶え間なく続いている。 ここで重要なのは、最初のステップで「ニュートリノ」が生成されることだ。 このニュートリノは、他の粒子とはほとんど相互作用しないため、 核融合で生み出された膨大な光(光子)が太陽内部を何十万年もかけてようやく表面に到達するのに対し、 生成された瞬間に光速に近い速さで太陽の外へと飛び出していく。 そのため、ニュートリノは太陽の核融合反応をリアルタイムで知ることができる唯一のメッセンジャーといえる。
科学者たちは、このニュートリノの性質を利用して、太陽内部の核融合反応を確かめようとした。 1960年代、理論物理学者ジョン・バーコールが、太陽から地球に届くニュートリノの数を詳細に計算した。 そして、レイモンド・デイビスが 地下深くの観測施設で実際にニュートリノを観測した。
しかし、ここで奇妙な事態が起こった。 実際に観測されたニュートリノの数が、理論的に予測された数の約3分の1しかなかったのだ。 これは「太陽ニュートリノ問題」と呼ばれ、物理学界の大きな謎となった。
この謎には、主に2つの可能性が考えられた。
科学者たちは、太陽のモデルを徹底的に検証したが、ほとんど欠陥は見つかからなかった。 すると、もう一つの可能性、つまり「ニュートリノそのものに何か秘密が隠されている」 という考えが有力になってきた。
ニュートリノには「電子ニュートリノ」 「ミューニュートリノ」 「タウニュートリノ」という、 3つの種類(フレーバー)がある。 観測の結果は、太陽の核融合で生まれるのは、ほぼ全てが「電子ニュートリノ」だ。
サドベリー観測所での実験では、 電子ニュートリノだけでなく、全ての種類のニュートリノを測定することが可能だった。 その結果、以下の驚くべき事実が明らかになった。
この結果は、何を意味したのか。
ところで、ニュートリノは3種類あることがわかった経緯は、それぞれのニュートリノが個別に発見されていった歴史に基づいている。 素粒子には「世代」という概念があり、ニュートリノもそれに沿って3種類(世代)あることが明らかになった。
このように、3種類のニュートリノは、異なる時代と場所で、 それぞれの対応する荷電粒子(電子、ミュー粒子、タウ粒子)の崩壊現象を観測することで、 段階的にその存在が明らかになった。
そもそも、素粒子が3世代あるという構造が明らかになった経緯は、段階的な粒子の発見と、 その後の理論的な予言が実験で検証されるという歴史の積み重ねだった。 物質を構成する素粒子は大きく分けてクォークと レプトンの2つのグループに分類されるが、 それぞれのグループで世代構造が確認されている。
それまで、ニュートリノには質量がない、と考えられていた。それは次の理由による。
素粒子物理学の基本的な枠組みである標準模型は、 ニュートリノが質量を持たないことを前提としていた。 標準模型では、粒子に質量を与える「ヒッグス機構」が働くが、 ニュートリノはヒッグス粒子と相互作用しないとされていた。 ニュートリノは電気的に中性で、非常に弱い相互作用しかしないため、 理論的に質量がゼロであることが自然なように見えた。 また、光子(光の粒子)のように、質量がゼロの粒子は光速で移動すると考えられており、 観測が極めて困難なニュートリノは、その性質から質量がないと推測されていたのだ。
ニュートリノの質量を直接測定する実験は、長年にわたって行われてきたが、 その値はあまりにも小さく、当時の測定技術では検出できなかった。 ベータ崩壊という現象では、ニュートリノに質量があれば、 放出される電子のエネルギー分布にわずかな変化が現れると予測されていた。 しかし、この変化が観測されなかったため、多くの科学者はニュートリノの質量はゼロか、 またはほぼゼロであると結論付けていた。
全ての種類の太陽ニュートリノを合計した数は、理論予測とほぼ一致した。 しかし、観測された電子ニュートリノの数は、やはり理論予測の3分の1しかなかった。
この結果は、何を意味したのか。
太陽から飛び出した電子ニュートリノが、地球にたどり着くまでの間に、
ミューニュートリノやタウニュートリノに「姿を変えていた」ということを示していた。
まるで、太陽の門を出た旅人が、道中で別の姿に変身し、
目的地にたどり着いたときには、もはや元の姿ではなかったかのように。
この現象は「ニュートリノ振動」と名付けられた。
この謎に終止符を打ったのが、日本の小柴昌俊博士らが率いた 「カミオカンデ」や 「スーパーカミオカンデ」といった観測施設、 そしてカナダの「サドベリー・ニュートリノ観測所(SNO)」での実験だった。
このニュートリノ振動という現象が発見されたことで、「太陽ニュートリノ問題」は解決された。 太陽の核融合モデルは正しく、観測機器が捉えきれなかったのは、電子ニュートリノが別の種類に変わっていたためだった。 この発見は、ニュートリノがわずかながら質量を持つことを証明するものでもあり、 素粒子物理学の標準理論に大きな修正をもたらす画期的な成果となった。
この功績により、小柴昌俊博士は2002年に、 また、その後の研究で、2015年には梶田隆章教授がノーベル物理学賞を受賞された。
ニュートリノ振動は、ニュートリノに質量があることと、 その「風味(フレーバー)の状態」と 「質量の状態」が異なるため、 という量子力学的な性質によって起こる。
これは、日常生活の例えで説明すると少し理解しにくい現象だが、音楽で例えるとわかりやすいかもしれない。
ニュートリノには、物理学の世界で「フレーバー固有状態」と「質量固有状態」という、2つの異なる状態がある。
ニュートリノ振動 の本質は、この2つの「顔」が一致していないことにある。
太陽で生まれた電子ニュートリノ は、実は3つの質量固有状態(ν1、ν2、ν3)の量子的な重ね合わせとして存在している。 それは、まるでオーケストラが3つの異なる楽器の音(質量固有状態)を混ぜて、 ある一つの旋律(電子ニュートリノ)を奏でるようなものだ。
ニュートリノが宇宙空間を旅するにつれて、それぞれの質量固有状態は、わずかに異なる質量のために、 異なるスピードで「位相」をずらしていく。この位相のずれによって、3つの状態の重ね合わせの比率が変化し、 もはや元の「電子ニュートリノ」の状態ではなくなってしまう。
その結果、地球にたどり着いたニュートリノを観測すると、その「顔」は電子ニュートリノだけでなく、 ミューニュートリノやタウニュートリノの性質も含む状態に変化しているのだ。 この現象は、光が波として干渉し合うのと同様に、ニュートリノの波が互いに干渉し合う「量子的な干渉」として説明される。
このニュートリノ振動 という現象が観測されたことは、ニュートリノの質量がゼロではないことを強く示唆した。 もし質量がゼロであれば、位相のずれは起こらず、ニュートリノは姿を変えることなく永遠に同じフレーバーを保ち続けるからだ。 ニュートリノ振動は、標準模型 を超える「新しい物理学」の扉を開く、極めて重要な発見だった。
日本の物理学史を遡るとき、その道筋は決して一本の直線ではない。 そこには、既成の概念に挑み、一人荒野に立ち、新たな地平を切り拓こうとした男たちの、静かなる格闘があった。 坂田昌一という稀有な物理学者は、まさにそのような孤高の思想家であったと言えよう。
当時、素粒子とはそれ以上分割できない、宇宙の究極的な構成要素であると信じられていた。 しかし、坂田は、この常識に対して根本的な疑念を抱いた。 彼は、陽子や 中性子といった粒子が、さらに三つの基本的な粒子から構成されるという、 大胆な「複合模型」を提唱したのである。 これは、今日のクォークの概念に通じる、まことに先駆的な思想であった。 彼のこの構想は、世界の物理学界からは冷ややかな眼差しで見られることも少なくなかったが、その魂は決して揺らがなかった。 彼が目指したのは、目の前の現象を説明する小手先の理論ではなく、宇宙の根源に潜む、 より美しい階層的な構造を明らかにすることであった。
一方で、時を同じくして、物理学者はひとつの不可解な謎に直面していた。 それは、太陽から地球に降り注ぐ、おびただしい数のニュートリノが、計算された数よりもはるかに少ないという 「太陽ニュートリノ問題」である。 この幽霊のように捉えどころのない粒子は、質量を持たないとされていたがゆえに、この謎は容易には解けなかった。
ここにおいて、坂田が提唱した「階層構造」という思想の、深遠なる意味が明らかになる。 直接的にニュートリノの質量を予測したわけではない。しかし、彼が「究極の素粒子など存在しないのではないか、 物質にはさらに奥深い構造があるのではないか」と問い続けたその思索そのものが、後の物理学者たちの精神を耕し、 柔軟な発想を育んでいたのである。
そしてついに、観測技術の進歩は、このニュートリノが宇宙を飛びながら、その種類を変化させる 「ニュートリノ振動」という現象を捉えた。この現象こそ、 ニュートリノが質量を持たなければ起こり得ないものであった。
この発見は、坂田が唱えた「複合」や「階層」といった、一見すると抽象的な思想が、 遠い未来の物理学を根底から支え、未曾有の謎を解き明かすための、堅固な礎となっていたことを証明した。 科学の進歩は、必ずしも一人の天才のひらめきによってのみ成るものではない。 それは、時代を超え、国境を越えて、先人の思索が次代の英知に引き継がれる、壮大な歴史の物語なのである。
さて、このニュートリノという名の、まことに不思議な粒子について、もうすこし話を続けよう。
この世の事象には、なにかと理由がある。 たとえば、朝が来れば陽が昇り、夜になれば月が顔を出す。 因果応報、すべての現象には原因と結果とが、厳然として存在している。 しかし、このニュートリノという代物は、その因果の鎖から、するりと抜け出したような、まことに掴みどころのない存在であった。
太陽の肚(はら)の底で、水素がヘリウムに変わるという、天地創造にも似た大事業が行われるとき、こやつは光子と共に生まれ出る。 ところが、光子が何十万年もの歳月をかけて、太陽の分厚い肉の中をのろのろと這いずり回るのとは対照的に、 ニュートリノは生まれたその瞬間に、まるで何事もなかったかのように、光速に近い速さで太陽を飛び出してしまう。 さながら、牢獄の壁をすり抜ける幽霊のごとき振る舞いである。
そして、この幽霊は、地球にたどり着くまでの長い道のりにおいて、さらに奇妙な芸当をやってのけた。 太陽から送り出されたのは、ほぼ「電子ニュートリノ」ばかりであったはずが、いざ地球で観測してみると、どうも数が足りない。 その足りない分は、どこへ消えたのか。
この謎を解いたのが、他でもない日本の科学者たちであった。
彼らが辿り着いた結論は、まことに大胆なものであった。
つまり、太陽から放たれたニュートリノは、旅の途中で、その身を「ミュー」や「タウ」といった、
別の姿へと変えていた、というのである。
これを「ニュートリノ振動」という。
この世の出来事を、因果律という一本の道で説明しようとした物理学者たちは、 このニュートリノという旅人によって、自分たちの信じていた地図が、実はひどく不完全なものであったことを知る。
それは、まるで天下統一を目指す武将が、戦場の地図ばかりを睨んでいて、その地図に描かれていない、 人知れぬ峠道や抜け道があることを、まるで知らなかったようなものである。
そもそも、このカミオカンデという 巨大な装置は、何のために作られたのであろうか。 その目的は、ニュートリノを捉えることではなかった。 素粒子物理学の壮大な夢、陽子崩壊 という現象を捉えることにあった。
我々を構成する物質の最小単位である陽子は、決して崩壊することのない、永遠不滅の存在であると信じられてきた。 しかし、新たな理論は、気の遠くなるような長い時間を経れば、陽子もいつか崩壊するはずだと予言した。 それは、宇宙の根本原理を揺るがす、まさに神の設計図に挑むかのごとき壮大な計画であった。 しかし、肝心の陽子崩壊は、待てど暮らせど、その姿を現さなかった。
その代わり、この装置は、思いもよらぬ形で、別の、しかしさらに大きな宇宙の謎を解き明かすための鍵となったのである。
1987年2月23日、地球の夜空に、ひとつの星(16万8千光年離れたSN1987A)が俄かに明るく輝き始めた。 それは、超新星爆発という、巨大な星がその一生を終える、まことに劇的な死の瞬間であった。 巨大な星の核が、その自らの重力に耐えきれず、一瞬にして潰れる。 この崩壊の時、星の物質は超高密度の塊となり、 その途方もない圧力と熱の中から、膨大な数のニュートリノが、光の粒子を置き去りにして、一斉に宇宙へと飛び出したのである。 それは、まさに宇宙の片隅で鳴り響いた、魂の叫びにも似た砲声であった。
この、何十万光年も離れた星の死の報せを、正確に受け取ったのは、他ならぬ日本のカミオカンデであった。
地下深くの観測施設で、ひたすら静寂を保っていた巨大な水槽。 その中に、僅か13個の光の点が、瞬く間に記録されたのである。 それは、この大河のような宇宙の歴史の中で、人間が初めて捉えた、太陽以外の星から来たニュートリノであった。 しかし、その一つ一つが、遥かなる星の死生の物語を、雄弁に語っていた。
これは、単なる天文学上の発見ではなかった。 ニュートリノという粒子が、太陽という身近な存在だけでなく、 宇宙の果てで起きる壮大なドラマの使者にもなりうることを、明確に証明した出来事であった。
この大発見は、陽子崩壊という当初の目的を達成せずとも、カミオカンデという装置が、 人類に新たな宇宙の「目」を与えたことを意味したのである。
小柴昌俊という、静かなる闘志を内に秘めた男の、長年にわたる格闘が、ついに実を結んだ瞬間であった。 彼は、この功績によって、2002年にノーベル物理学賞を受賞する。
「ニュートリノ天文学」という、新しい学問が、まさに誕生したのである。
その後、小柴の弟子である梶田隆章らが、さらに巨大化した「スーパーカミオカンデ」を用いて、 ニュートリノの振る舞いを精査した。
T2K(Tokai to Kamioka)実験は、ニュートリノ振動の精密測定と、 物質と反物質の振る舞いの違いを調べることを目的とした国際共同研究であった。
茨城県東海村にあるJ-PARC(大強度陽子加速器施設)で、
陽子を光速近くまで加速し、標的に衝突させ、衝突で生まれた粒子を集め、ミュー型ニュートリノのビームを作り出す。
このビームを295km離れた地下約1000mにある岐阜県飛騨市神岡町のスーパーカミオカンデに向けて発射した。
スーパーカミオカンデで、飛来したニュートリノを水分子とニュートリノが反応した際に生じるわずかな光(チェレンコフ光)を観測することで、
ニュートリノの種類を特定する。
ニュートリノには電子型、ミュー型、タウ型の3種類(フレーバー)がある。 この実験は、ミュー型ニュートリノが飛行中に電子型ニュートリノへと「姿を変える」現象(ニュートリノ振動)を詳細に測定することで、 ニュートリノの混合角(θ13)という物理量を決定した。 こうして、ニュートリノが長距離を飛行する間に変化が起きるかを観測して、 人工のニュートリノでニュートリノ振動を証明した世界初の試みであり、ニュートリノ研究の新たな一歩となった。 これが、梶田が2015年にノーベル物理学賞を受賞する直接の理由である。
T2K実験のもう一つの重要な目的は、ニュートリノと反ニュートリノの 振る舞いの違い(CP対称性の破れ)を探ることであった。 宇宙には物質は豊富に存在するが、反物質はほとんど見つかっていない。 この謎を解く鍵がニュートリノにあると考えられている。 ニュートリノと反ニュートリノの振動の仕方に違いがあれば、それが宇宙の物質優勢の理由につながる可能性がある。 T2K実験は、このCP対称性の破れを検証し、その大きさに初めて制限を与えた。
T2K国際共同実験グループは、2020年に「CP位相角」という、粒子と反粒子(反ニュートリノ)の振る舞いの違いを 決定づける量に、初めて強い制限を与えることに成功したと発表した。
CP位相角がとり得る値の範囲のうち、「CP対称性が破れていない」ことを示す値(0度と±180度)の可能性を 99.7%の信頼度で排除した。
これは、ニュートリノにおいて、物質と反物質が異なる振る舞いをすることを示す強い証拠であり、 宇宙から反物質が消えた謎を解き明かす重要な手がかりになると期待されている。
この成果は、今後のニュートリノ研究の方向性を決定づけるもので、 現在建設中の次世代実験装置「ハイパーカミオカンデ」によるさらなる精密な検証が待たれている。
だが、ニュートリノという旅人は、これだけでは飽き足らなかった。
この世には、まことに不可解な謎というものが存在する。 それは、なぜ、宇宙には物質ばかりで、反物質がほとんど存在しないのか、という問いである。
もともと、宇宙が生まれたばかりの頃は、物質と反物質が対等な数だけ存在していたはずだと、我々は信じてきた。 だが、もしそうであれば、両者は出会うが早いか互いに相殺し合い、この宇宙は光子ばかりの虚しい世界になっていたはずだ。 しかし、現実に我々はここにいる。星も銀河も、そして人間も、すべてが物質でできている。 この途方もない「不公平」は、一体どこから来たのか。
この謎を解く鍵を、日本の科学者たちは見つけようとした。 彼らは、茨城県の広大な地に、陽子加速器という巨大な「鉄の銃」を築き、 その銃から、光速に近い速さで飛ぶニュートリノという、まことに幽霊めいた粒子を、 295キロメートル離れた岐阜の山奥にある「スーパーカミオカンデ」という巨大な観測装置へと撃ち込んだ。 これは、あたかも戦国の武将が、遠く離れた敵の陣地へ密使を送り込むかのごとき、壮大で緻密な作戦であった。
そして、彼らはその作戦を、二つの方向から試みた。 一つはニュートリノを、もう一つは、その鏡像のような存在である反ニュートリノを、 それぞれ撃ち込んで、その振る舞いの違いを観察したのである。 この、まるで双子の兄弟の行動をこっそりと見比べるような地道な作業こそが、この宇宙の根源的な謎に迫るための、 唯一の道であった。
その結果は、まことに痛快なものであった。
ニュートリノと反ニュートリノは、その道すがら、種類を変えるという奇妙な芸当を演じる。 しかし、その「変身」の仕方が、どうも対称ではないらしい、という兆候が見えてきたのだ。 もしニュートリノと反ニュートリノの振る舞いがまったく同じであれば、その変身の確率も等しくなるはずだが、 スーパーカミオカンデが捉えたデータは、その予想を裏切るものであった。
これは、「CP対称性の破れ」と呼ばれる現象である。 つまり、宇宙の根源的な設計図に、物質と反物質とでは異なる振る舞いをせよ、という 「不公平」な指示が書き込まれていたことを、強く示唆するものであった。
この発見は、この壮大な物語の最終章ではない。むしろ、新たな物語の序章であった。 T2K実験は、このCP対称性の破れが、ニュートリノという粒子に存在することを、確固たる証拠をもって示唆した。 これは、宇宙の物質優勢の謎を解く上で、極めて有望な突破口となる。
今後、さらに巨大な 「ハイパーカミオカンデ」 という次世代の装置が完成すれば、この「不公平」が、まことの真実であるかどうかが、 より明確に、そして決定的に証明されるであろう。 ニュートリノという旅人は、物理学者がこれまで信じてきた地図をひっくり返し、宇宙の謎へと続く、新たな抜け道を指し示したのである。
(生成AI&樋口元康)