思えば、人間というものは、まことに大らかな生き物である。ことに日本人は、その大らかさの極みにおるのかもしれぬ。 その証左の一つが、「中秋の名月」を愛でるという、千年の時を超えた優雅な風習であろう。
中秋の名月というものは、もとをただせば、かの平安の時代に、海を越えて中国大陸から伝来した習俗であった。 しかし、それがこの日本という風土に根を下ろすや、たちまちにして、単なる宮廷の宴から、百姓たちの「芋名月」という、 まことに土着の、そして実直な行事へと姿を変えていった。
この習俗の根底にあるのは、日本人らしい「季節への強い渇望」である。 夏の太陽は天高く、月は低く、逆に冬の月は、首が痛くなるほど見上げねばならぬ。 だが、秋の満月は、見上げるにちょうど良い高さに、大らかに浮かぶ。 それゆえにこそ、人々は「秋こそ月見の候」と定め、古き暦、太陰太陽暦(旧暦)の八月十五日を「中秋」と呼び、この夜の月をことのほか愛でたのである。 孟秋(七月)、仲秋(八月)、季秋(九月)という秋の真ん中、そのまた真ん中の日である。
ところで、現代の暦学をもって見れば、この「中秋の名月」というものは、まことに興味深い事実を突きつけてくる。
それは、名月が必ずしも満月ではない、という真実である。
たとえば、今年2025年の名月は10月6日であるが、天文学上の満月(望)の瞬間は、翌7日の昼下がり(12時48分)に訪れる。
つまり、名月の夜は、厳密には望の半日ほど手前、とはいえ「ほとんど満月」の月を眺めているわけだ。
月が地球の周りを巡る軌道は、我々の想像以上に複雑で、新月(朔)の瞬間から満月(望)の瞬間までの期間は、平均して約14.8日。 この僅かなズレ、そして月の軌道の微妙な楕円形が相まって、旧暦の「十五夜(朔から数えて十五日目の夜)」と、 天文学的な「望の瞬間」が一致しないことのほうが多いのである。
しかし、この事実に、我々の祖先は一向に頓着しなかった。なぜか。
それは、彼らの持っていた「時」と「暦」に対する大らかな知恵であろう。 彼らは、精密な科学よりも、まず「秋の真ん中の月を愛でる」という文化的な営みを優先した。 多少の日付のズレなど、真円に近い月が空に浮かんでおれば、些事である。 彼らにとって大切なのは、家族や隣人と共に、里芋や豆を供え、「この一年も無事に季節が巡ってくれた」と感謝し、 その夜の月に向かって、大地の恵みと明日への希望を重ね合わせることであった。
彼らはまた、この中秋の名月と対になる、「十三夜」という日本独自の風習をも生み出した。旧暦の九月十三日の月を「栗名月」「豆名月」と呼び、 二つの月見を「二夜の月」として愛でる。 この、二度も月を愛でるというところに、日本人のまことに豊かで、そして、どこまでも大らかな心が宿っているように思えるのである。
(生成AI&樋口元康)