旅の起点は、日本海の荒波に洗われる島根県江津(ごうつ)駅。山陰本線の片隅にひっそりと、 しかし確固たる存在感を放っていた三江線のホームに立ったのは、平成二十六年のことだった。 その時すでに、この鉄路がまもなくその生涯を終えることが決まっていた。
列車は、江津の街を抜けると、すぐに江の川の岸辺へと身を寄せる。 日本の裏側、山陰の深い山中を、江の川という大河が滔々と流れている。 三江線は、その巨大な流れに抱かれるように敷かれた、まるで大地の襞に刻まれた一本の歴史の筆跡だ。
車窓に映るのは、古の石州瓦の赤茶けた屋根。 この堅牢な焼物は、冬の荒海に耐えるために人々が編み出した知恵の結晶である。 彼らは海と川、二つの巨大な自然と戦い、あるいは寄り添いながら、今日まで生き延びてきた。 しかし、かつて木材や産物を載せた舟が上り下りした川の経済は、とうに道路という新しい血管にその役目を譲って久しい。
惜しい、という感傷などではない。これは、時の流れ、 すなわち「歴史の機構」が、非情にも一つの役割を終えたことを告げている。 これから辿る鉄路の終焉は、文明が自然を克服し、そしてまた、自然の永続性へと還っていく物語の前奏曲に他ならない。
列車は、江の川の蛇行に合わせて、島根の山深さを這い上がるように進んでゆく。この流れこそが、この旅の主題だ。
この江の川(別名、郷川)の流域は、かつて柿本人麻呂が流罪され、その悲劇的な最期を迎えたとされる舞台にも近い。 宮廷という光の極みを知る天才が、この「闇」の深部に追いやられたのだ。 万葉歌人の人麻呂は、権力者に葬られた無念を、後世に伝わる「いろは歌」という暗号に込めたという説がある。
表面的には仏教の「諸行無常」の教えを詠んだ「いろは歌」。 それを七文字ごとに読むと、「咎(とが)なくて死す」という、全く異なる意味を持つ歌へと変化する。
そんな「怨念の機構」を仕掛けるほどの深い悲劇が、この清流の裏側、 歴史の記録から抹消された空白に横たわっているのだろうか。 鉄路の向こうに滔々と流れる川のさざめきは、果たして清らかな水の音か、 それとも千年の時を超えて響く、天才歌人の呻きだろうか。
この線路とて、最初から一本の線ではなかった。日本海側の三江北線と、 広島内陸の三江南線。国家の意思が両端から鉄の楔を打ち込むように、別個に工事は進められた。両者が繋がれるまでには、 実に四十五年という、一人の人間の一生に匹敵する気の遠くなるような歳月が費やされたという。 ようやく一本の線路として完成したとき、この鉄路は沿線の人々の「命綱」となった。
この線路とて、最初から一本の線ではなかった。日本海側の三江北線と、広島内陸の三江南線。 国家の意思が両端から鉄の楔を打ち込むように、別個に工事は進められた。 両者が繋がれるまでには、実に四十五年という、一人の人間の一生に匹敵する気の遠くなるような歳月が費やされたという。 ようやく一本の線路として完成したとき、この鉄路は沿線の人々の「命綱」となった。
しかし、歴史はかくも非情に進行する。完成したときにはすでに、過疎化という構造的な病が忍び寄っていたのだ。 三江線は、時代の波に抗う力を持たず、廃止へと向かう。この悲劇的な鉄路の運命は、かつての天才歌人と同じく、 時代の「非情な理」に翻弄された末の帰結であった。
そして、旅の視点は一変する。時は平成二十六年。
午前6時02分。三次行きのディーゼルカー、キハ120形は、日の出前の静寂を破り、 車内に孤独な決意を響かせて山間を縫っていく。
中国山地の奥深く、江の川の清流に沿って敷かれた一本の鉄路、三江線を、捜査線上の手がかりを追う一人の刑事が辿っていた。 それは、森村誠一の小説世界に迷い込んだかのような、孤独で非情な旅路であった。
列車に揺られて既に2時間になる。時刻は8時を回っていた。 「…おっと、寝過ごすとこであった。」
そして8時17分、目的の宇都井駅に停車。
ホームに降り立った捜査員は、その異常なまでの高さに息を飲んだ。
狙うは、この高架ホームに停車する列車を地上から見上げる一枚の証拠写真。
その一枚を得るため、彼は百十六段の階段を一歩一歩、踏みしめて地上へと降りるほかなかった。
宇都井駅は、
地上20メートルの高架ホームが雲を掴むようにそそり立つ、孤高の天空の駅である。
島根県と広島県の県境に近い山間の集落に位置しており、駅の設置が決定された際、
周囲の地形が急峻で平地が少なく、通常の地上駅を設置するのが困難であった。
降り立った地上は、時間の流れから取り残されたような静寂に包まれていた。 だが、この場所で次の列車を待ち受ける捜査員には、11時00分までという、あまりに長い待ち時間がある。
午前11時ちょうど。長い沈黙を破り、江津方面へ向かう上り列車が宇都井駅のホームに滑り込んできた。
シャッターが切られる。たった一瞬の邂逅。列車はディーゼル音を響かせ、そのままトンネルに吸い込まれていった。
しかし、たったこの一枚の証拠を確保するため、刑事は再び、誰もいない二十メートルの階段を、
孤独に登り返さなければならなかった。
そして17時32分。長い、あまりに長い待ち時間の後、ついに三次行きの下り列車がホームに滑り込んできた。 疲労を隠し、最後の力を振り絞ってその列車に乗り込む。 19時51分、目的地の三次駅に到着した時には、すでに夜の闇が全てを覆い尽くしていた。
たった一枚の証拠写真。その一枚を確保するため、 刑事は丸一日、中国山地の秘境の駅で、「時刻表という名の鉄の掟」と、「孤独という名の深い闇」と戦い続けたのであった。 この事件を追う旅路は、人麻呂が流された地の「闇」と、廃線に追い込まれた鉄路の「非情」が交錯する、一つの「時代の構造」の象徴であった。
この鉄路の物語は、まことに静謐に、しかし冷徹な「時代の論理」によって結ばれたのである。
四十五年という気の遠くなるような歳月を費やして一本に繋がれた鉄の楔(くさび)は、2018年、その役割を終えることとなった。 これは、文明の道筋が、必然として導いた結果であった。山間僻地までをも鉄路で結びつけるという近代日本の「国家的意志」は、 人間が自然を克服し、全国土を単一の市場としようとする壮大な構想であった。しかし、それが結実した頃には、すでに文明の主役は鉄路から「自動車」という、個人の自由な意思を最大限に反映した媒体へと移っていた。
三江線は、時代の寵児たる座を降り、巨大時代の趨勢(すうせい)の前に、ただ静かに膝を折った。 そこには、悲劇や英雄譚の余地はなく、あるのはただ、非情な「理」のみであった。
廃止から時を経た今、この地を訪れると、線路という「歴史の筆跡」は、すでに剥がされ、消え去っている。 駅舎はひっそりと佇み、プラットホームの切り立ったコンクリートだけが、かつて文明の器がここに来た証として残されている。
だが、この鉄路が江の川を跨ぐために架けられた、あの巨大なプレキャストコンクリートの橋梁群はどうだ。 そして、宇都井駅を支える「宇都井高架橋」こそ、その構造の特異性から「選奨土木遺産」に認定された
それこそが、かつて国家がこの山陰の深部に打ち込んだ「意志の楔」の、最後の、そして最も堅牢な痕跡である。 空(くう)を渡る巨大な鉄の骨組みは、もはや列車を通すことはない。 そこにあるのは、鉄路という「存在」が消滅したあとの、強烈な「虚無」の風景である。だが、 その虚無の中に、「土木遺産」という新たな価値を見出され、宇都井高架橋は今、廃線後の構造物として、人々の記憶に再び刻まれようとしている。
その橋脚の足元で、江の川は今も、昔と変わらず滔々と流れている。
江の川にとって、柿本人麻呂の流罪も、四十五年の鉄路建設も、そしてその廃止も、全ては岸辺を濡らす一瞬のさざ波に過ぎない。 人々の営みは川面に薄い影を落とすが、川は無言で、ただ自己の質量に任せて流れてゆく。
この三江線の物語の真の終章は、鉄路の終焉にあるのではない。
鉄道という人間が生み出した「機構」が、再び大自然たる江の川の「永続性」の中に還元され、静かに溶け込んでいった、
その「構造」を理解した瞬間に、この紀行文は終わりを迎えるのである。
(生成AI&樋口元康)